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Nitro+作品「沙耶の唄」レビュー
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「――それは、世界を侵す恋」

 以前から気になっていた「沙耶の唄」をプレイしました。
 18禁美少女ゲームブランドでありながら、銃器や刀剣、アクション描写に徹底的に拘り、「萌え」よりも「燃え」を優先する硬派な作風で知られるニトロプラス。その作品の中でも、おそらく異彩を放っていると思われるのがこの「沙耶の唄」です。
(ニトロ作品は今のところ「刃鳴散らす」のみプレイ済。感想記事はこちら→

 所謂「エロゲー」ですが、描かれているのは(ある意味究極の)純愛なので、女性にもお薦めできるお話だと思います。

 ただし、グロテスクな描写に耐性のある方のみ!

 何の覚悟もせずに沙耶の可愛さだけに惹かれてうっかりそのままプレイすると、しばらくお肉が食べられなるかもしれません(笑顔)。

 グロテスクなサスペンスホラーアドベンチャー。そしてセカイ系の極地に立つような物語です。

 以下ネタバレ感想。



 爛れてゆく。何もかもが歪み、爛れてゆく。

 交通事故で生死の境をさまよった匂坂郁紀(さきさか・ふみのり)は、いつしか独り孤独に、悪夢に囚われたまま生きるようになっていた。
 彼に親しい者たちが異変に気付き、救いの手を差し伸べようにも、そんな 友人たちの声は決して郁紀に届かない。
 そんな郁紀の前に、一人の謎の少女が現れたとき、彼の狂気は次第に世界を侵蝕しはじめる。

(ニトロプラス公式サイト紹介文より)


 ……えーと、プレイ開始直後。
 ひぐらしに登場する某園崎家の娘さんの、
「ブチ撒けられてえかぁ!!」
 という台詞を思い出しました(笑)。

 覚悟はしてましたが、うーん。これは凄いや。
 見事にブチ撒けられてます。ごぞーろっぷが(苦笑)。
 これだけ画面が肉塊・臓物まみれだと、グロテスクを通り越してむしろシュールだ。

 というか、その前。
 ゲーム開始時に、「グロテスクな画像のフォーカスをぼかす」「グロテスクな画像の明度を落とす」といった設定変更機能がついているので安心です。それでもダメな人にはダメでしょうが。
 私は最初はこのソフト肉システム(笑)を使ってプレイしたのですが、中断して再開した後にいつの間にかそれが外れていました……が、外しても別にどうということはありませんでした。てか、最初は「うげっ!」と思っても次第に慣れてきます(苦笑)。
 主人公の郁紀の見ている世界がいつもこの状態ですからね。「正常な」視点で見た世界も描かれていますが。


 最初にざっと登場人物の紹介を。

匂坂郁紀(さきさか・ふみのり) cv:氷河流
 本編の主人公。不幸な事故を境に、現実と悪夢の境界線に囚われ続けることになる。

沙耶(さや) cv:川村みどり
 謎の少女。失踪した父親、奥涯雅彦を探すうち、入院中だった郁紀と運命的な出逢いを果たす。

戸尾耕司(とのお・こうじ) cv:片岡大二郎
 郁紀の親友。郁紀の怪しげな言動を訝りつつも、仲間たちを支えていこうと奮闘する。

高畠青海(たかはた・おうみ) cv:海原エレナ
 耕司の彼女。郁紀の豹変によって悩む瑶を心配する、心優しい女性。

津久葉瑶(つくば・よう) cv:矢沢泉
 青海の親友。郁紀に想いを寄せていたものの、事故を境に人が変わった郁紀の態度に戸惑い、気に病むようになる。つい他人に依存しがちで、場の雰囲気に流されてしまうことが多い。

丹保凉子(たんぼ・りょうこ) cv:佐藤まこと
 事故の後遺症に悩む郁紀の主治医。過去に奥涯雅彦と何らかの接点があったらしい。

(ブックレットの紹介文より)


 ……では、内容についてさらに踏み込んでみます。


◆綺麗は汚い、汚いは綺麗

 郁紀は生死の境を彷徨う重体から奇跡的に回復したわけですが、おそらくは事故の後遺症で、いわゆる一種の「認知障害」になってしまっているからです。

 具体的には、こんな感じ。

 ぶよぶよと蠢く肉塊が、目の前に三つ座っている。
 カップに注がれた汚水をさも美味しそうに啜り上げながら、暗く粘つく声で何か自分には分からない言葉を発している。
 声は、金切り声と呻り声とそれ以外の奇声にしか聞こえない。
(中略)
 直ぐ傍でぶるぶるとその醜悪な肉塊の身を震わせながら、そいつが放つ吐瀉物のような饐えた臭いを、僕は努めて意識しないようにしていた。
 ――そう。何もかも変わり果ててしまった。
 目に映るもの全てが、想像される限り最悪なモノに姿を変えて、なのに関係性だけはそのままに残った。


 ……彼は五感のすべてが「正常な」人間のそれとは違った、「狂った」状態になっています。彼は、人間は皆腐臭を放ち怪音を発するおぞましい肉塊のような怪物に見え、周囲の風景は豚の臓物をぶち撒けて塗りたくったかのようなグロテスクな情景に見えるようになってしまいました。

「僕は狂ってなんかいない……」

 そんな郁紀の前に、一人の少女が現れます。
 嫌悪に満ち満ちた、醜悪な狂った世界の中で、ただ一人美しく清浄な少女――沙耶。こうして郁紀と沙耶の二人の生活が始まるわけですが……。
 郁紀の見て感じている世界は、「正常な」世界とは美醜、清浄と汚濁が反転した状態になっている世界なのだ……ということは、少し考えれば容易にわかります。
 人間の姿が醜い肉塊に見える郁紀。そんな郁紀にとって、世界で唯一美しく清浄な存在に見えるのが、沙耶。
 ということは、「正常な」五感の人間が沙耶の存在を目にしたとしたら、その正体は……ガクガクブルブル(滝汗)。


◆「火の鳥 復活編」へのオマージュ

「昔読んだ漫画でさ……事故から生き返ったせいで世界が当たり前に見えなくなる男の話があった。今の僕みたいにね」
「その男の目には人間が石くれに、機械のロボットが美女に見えるんだ。だから男は、人とは似ても似つかないロボットに恋をしてしまうんだ」
「――さっきの漫画の話だとね、人でないものを愛した男は、最後に自分が人間であることを辞めて、恋を成就させるんだ。ハッピーエンドだよ。だろう?」


 ゲーム内にて郁紀がこう語っているように、「沙耶の唄」は漫画の神様・手塚治虫の代表作「火の鳥 復活編」へのオマージュ的作品となっています。
「火の鳥 復活編」も、ある意味悪意に満ちた、非常に意地悪な作品だなあと思いますが。あのラスト(主人公レオナは、自分がが愛した“チヒロ”と一緒になるために、僕をロボットにしてくれと博士に頼み込み――そして彼の願いは叶う)もなかなか深く考えさせられるものでした。

 自分が今生きて感じている世界の姿は、本当に自分が見て感じている通りのものなのか?
 世界の姿が違って見えてしまったら、自分が今まで持っていた常識や、信じていたものはどうなってしまうのか?
 このような問いを手塚治虫氏は非常に意地悪な形でぶつけました。

 そして、ニトロプラスの虚淵玄氏(脚本・監修)はそれをさらに極端な形で我々の前につきつけたということでしょう。

 立場やものの見方が変わることによって、今まで信じてきたものが音を立てて崩される……というようなことを描いた作品はたくさんあります。特に、戦争を描いた作品の中で、運命に翻弄される登場人物などは、そのような体験をします。
 しかし、正義と悪、嘘と真実がひっくり返されて突きつけられるだけでなく、美醜や生理的な感覚までがひっくり返ってしまったら、自我の混乱・崩壊はさらに凄まじいものになるでしょう。

「沙耶の唄」は、そういうメッセージを込めた物語なのだと思います。


◆狂気の表現と音の世界

 次に、「沙耶の唄」の視聴覚的な表現について。
 グラフィックもアレですが音声面もかなりキテます。
 肉を引きずる音とか妙にリアルで、うひゃあという感じです(苦笑)。

 BGMは直球でホラー系。なんだか落ち着かない曲とか、背筋が寒くなりそうな曲とか、あまり長時間聴いていたくない雰囲気の曲が多めです。

 主題歌は二曲。
「沙耶の唄」「ガラスのくつ」。いずれも、ニトロの歌姫・いとうかなこさんが歌われています。
(いとうかなこ公式サイトはこちら
 どちらもかなり切ない歌なんですよ……!
 エンディングを迎えて、ゲームの内容を反芻しながら聞いていると、こう……じわじわくるものがあります。

 この作品はフルボイスです。
 声優さんの演技は、皆上手いです。
 主人公の郁紀役の氷河流さん……18禁ゲームなのでいわゆる源氏名を使っていらっしゃいますが、聴けばすぐ分かる超有名な声優さんです。(ニトロ妹ブランドの某作品では思いっきり表名で出演されてますがね!)郁紀の狂った演技が最高です。いきなり狂ってしまうのではなく、じわじわ静かーに精神が浸食されていって、中盤では完全にあっちの人になってます。コワイコワイ。ぱっと見は好青年ぽく、でもやってることは死体損壊カニバリズム……とか(笑顔)。
 狂った演技と言えば最後、耕司の精神の針の振り切れっぷりと、凉子さんの哄笑が聴きどころなんじゃないかと思います。
 沙耶かわいいよ沙耶。でもだからこそ怖いよ沙耶。


◆「沙耶の唄」の結末

 このゲーム、実は選択肢が二つ、エンディングが三つしかありません。ほとんど一本道ノベルゲームに近いです。
(五時間程度でフルコンプできるため、時間的には手軽に遊べます。価格も4800円なので、手に取りやすいですね)

 三つのエンディング……普通のゲームなら、「これがトゥルーエンドでこれがバッドエンドだな」と明確に分かりそうなものですが、「沙耶の唄」はその判断が非常に難しいです。

 そもそも価値観や美醜が反転し、人間が化物に見え、腐臭漂うゴミ捨て場が安息の場所に感じられるのが主人公の郁紀なわけで。そんな彼が世界で唯一「美しく清浄な少女」と『認識』する沙耶と深い恋に落ちるわけです。

 最初の選択肢で、郁紀は沙耶に「元に戻りたいか」と訊かれます。
 人間を人間と認識でき、元の生活に戻る……正気に戻ることが幸福だと、彼の境遇を見ていたもの(つまりプレイヤー)なら思うでしょう。しかし、もう一つの未来にも気づくわけです。
『正常な感覚』を取り戻した郁紀の目には、沙耶は一体どう映るだろうかと……この答えもまた明白です。
 愛さえあれば姿の違いなんて大したことないわ……なんて口先だけの美辞麗句は、ここでは何の意味もありません。
『腐臭を放ち、金切り声を発する、ぶよぶよと蠢く肉塊』と認識されるモノを、あなたは愛して抱き締めることができますか? ――ということです。
 郁紀は、失った感覚を取り戻すことと引き換えに沙耶を失うか、これからも沙耶を愛し続けるために狂い続けるか、ということを選ばなければならないわけです。
 これは……圧倒されました。

 それから、先ほどトゥルーエンドかバッドエンドかどうか判断するのが難しい……と書きましたが、そもそもハッピーエンドって何だろう、と考えさせられます。
 正常とか異常とか、美しいとか醜いとか、幸せだとか不幸だとか、そういった価値観というのは明確な基準がありそうに見えて実は非常に流動的なものだったりします。その人の主観によって、まったく違う風に思うこともあります。

 狂った人は「正気」に戻らぬままでいる方が幸福かもしれません。
 客観的にみてその人がどんなに不幸に見えようとも、本人は幸福だと言うかもしれません。
「沙耶の唄」は、多分そんな物語でもあります。

 三つのエンディングのうちの一つに、世界が終わりを迎えるというものがあります。しかしこの「終わり」は郁紀と沙耶にとっては二人のためだけの、美しい世界のはじまりなのです。

 美しかった。圧倒的に、絶望的なほどに美しかった。
 新しい世界の幕開けの、古い世界の滅びの唄。
 輝く生命はいま自由を謳歌し、勝ち鬨の声を上げて、この広く肥沃な大地へと解き放たれていく。


 このテキストにも垣間見えますが、非常に美しいエンディングでした。切なくもあたたかく、幻想的な――ただし、プレイヤーにはもう一つの現実が見えているわけです。
 沙耶が郁紀のために贈った最後の至上の贈り物。郁紀が幸せになれる世界の創造。……それが、他の人間たちにとってはどれほど醜くおぞましい地獄を意味するかということが。


 実にすさまじいカタルシスを覚え、深く考えさせられるゲームでした。
 まだまだ語りたいことはありますが、ひとまずこのあたりで感想をしめさせていただきたいと思います。

 ――かくも醜くも美しい物語の紡ぎ手である虚淵玄氏に、心からの喝采を。
[2007/02/10 23:40] | ゲーム感想・Nitro+作品 | トラックバック(0) | コメント(6)
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コメント
小児性愛-固執型
子供だけを性的にも社会的にも仲間として求める。
自分を好きだといってくれる人間が信じられず、廃人にし、所有してしまう。
意のままにならない女性を食べてしまう。
男友人のはずがほとんど敵のように描かれている。
実は人間への社会への不適合からくる人間への不信を描いた話なのではないでしょうか。
ある程度、共感できてしまうのがなんとも怖いです。
完全に共感してしまうとヤバい作品かもしれません。
それらを愛という一文字で全て正当化出来てしまう今の世の中や私というのも案外、狂っているのかも・・・なんて考えさせられます。

なんかこのゲームをやっていると、『タクシードライバー』という映画を思い出しました。
ベトナム戦争帰り(精神疾患で栄誉除隊)の主人公がタクシードライバーになり、社会への不満と狂気を膨らませ、正義の為にこの街を浄化してやる、と考えていくのですが。
ひょんなことから計画は失敗し偶然にも、少女を助けてることになり、英雄視され新聞に掲載される。
やってる事は普通のアクション映画とさして変わらないのですが。
その中に描かれた自己嫌悪が徐々に狂気と自己陶酔に変わっていく過程がリアルな映画。
心理的には多分、大量殺人犯や猟奇殺人と通じるところがあるのだと感じさせられる。
もしかすると、こちらへのオマージュもあるのかもしれません。







[2009/08/04 14:46] URL | シロッコ [ 編集] | TOP ▲
はじめまして。
>シロッコさん

はじめまして。コメントありがとうございます。

自分の認識では、小児性愛というものとは違うのではないかと思っています。プレイヤーである自分が沙耶を「少女」ではなく「少女の姿をした異形」だと思っているので。……でも主人公の郁紀にとって沙耶は世界でたった一人だけ、自分を受け入れ愛してくれる少女なんですよね。やはりロリコンか、郁紀……。
しかし、ゲームをやっていると郁紀自身もわりと早い段階から沙耶の正体に気付いていて、沙耶を失わないために敢えて狂った道を歩んでいる節があることにも気付きます。
考えていくと「少女」って何、という思考に陥ってしまうのですが……(苦笑)。

>実は人間への社会への不適合からくる人間への不信を描いた話なのではないでしょうか。

私もそう思います。というか、認識の差異によって容易く白が黒へ変わってしまうのだ、美しいものと醜いもの、正義と悪、正気と狂気の区別なんて曖昧で、確かなものなんて何もないのではないか……という強烈なメッセージ性を感じた作品でした。

>それらを愛という一文字で全て正当化出来てしまう今の世の中や私というのも案外、狂っているのかも・・・なんて考えさせられます。

確かに、無条件で「愛」を賛美するのが近代以降の世の中の絶対的な流れになっていますよね。沙耶もある意味究極「純愛」と言われていますが、脚本家の虚淵氏は「愛」を正当化する世界に対する痛烈な皮肉も込めてこの物語を書いたのではないかな……とも思います。

『タクシードライバー』という映画は寡聞にして知らないのですが、心理的な面を見ていくと非常に興味深そうな作品ですね。
一度見てみたいと思います。
[2009/08/04 19:36] URL | 畑中神有 [ 編集] | TOP ▲
> 『腐臭を放ち、金切り声を発する、ぶよぶよと蠢く肉塊』と認識されるモノを、あなたは愛して抱き締めることができますか?

美辞麗句というべき代物なのかどうかも疑問だが、この設問もかなり疑わしい。
というのは単純な反転現象とは限らないからでもあるし、また実際にそういうものを愛して接している人々も存じ上げているからだ。
底の浅い情緒を愛やら恋やらと勘違いしてるのでない限り、腐肉だから遠ざかりたくなるのは決まりきったことなどという極めて平凡な日常的感覚を頭から信じ込んで疑わないなどということはないはずなのだが。
[2011/01/17 23:04] URL | あ [ 編集] | TOP ▲
コメントありがとうございます。

> 愛さえあれば姿の違いなんて大したことないわ……なんて口先だけの美辞麗句は、ここでは何の意味もありません。
>『腐臭を放ち、金切り声を発する、ぶよぶよと蠢く肉塊』と認識されるモノを、あなたは愛して抱き締めることができますか? ――ということです。

感想を書いた時点ではそこまで突っ込んでいませんでしたが、仰る通り上記の質問も「かなり疑わしい」ものだと思います。

病院EDで郁紀は沙耶の姿を目にしてはいません。彼が普通の人々と同じ視界(彼の友人たちのように、沙耶が「ぶよぶよと蠢き、金切り声と呻き声と腐臭を放つ肉塊」に見える)を取り戻した時に、彼女を見てどういう反応をするかという結末は用意されていません。虚淵氏もあえて用意しなかったのだろうと思います。

これはあくまで私の感覚であり感想ですと前置きさせていただきますが、もしも郁紀が上記の展開になって沙耶を抱きしめて愛していると囁いたのならば、「愛さえあれば姿の違いなんて」という言葉は真実になり、そうでなければ「口先だけの美辞麗句」であることになってしまうな……と思ったことがあります。

>単純な反転現象とは限らないからでもあるし、また実際にそういうものを愛して接している人々も存じ上げているからだ。

それは確かにその通りだと思います。私は感想で「美醜、清濁が反転した」と書いていますが、そうとも限りませんよね…。反転したと仮定したうえで考えた方が非常にわかりやすいのですが、(また感想も書きやすいのですが、)そう単純なものでもないだろうとも思います。
仰る通り、どういうものを愛し、またどういうものに対し嫌悪感を抱くかは人それぞれだと思います。私が好きなものにあなたは生理的嫌悪感や憎しみを抱かれるかもしれませんし、またその逆かもしれません。私も「平凡で日常的な感覚」からは自由になれてはいないと思います。ただ、それを改めて考えさせられるのがこの「沙耶の唄」という作品なのだと思います。
[2011/01/18 19:24] URL | 畑中 [ 編集] | TOP ▲
共感しました
畑中さん、はじめまして。
周りの連中が沙耶の唄をやりもせずにけなしてくるのでふて腐れて、沙耶の唄の感想巡りしてたらたどり着きました。

この件で周りに恵まれなかったのかw
似たような意見を持っている人に出会えなかったので、思わずコメントしちゃいました。

私は三つのエンディング中で一番印象に残っているのが・・・。
耕司生存ENDでした。
耕司が悪夢に悩まされ続けたり、沙耶達が死んでしまう、といった感じのいわゆるバットエンドなんですが・・・。
他のエンドみたいに別れが訪れるわけではなく、”死”という結果だけど、最後の瞬間まで一緒に居られた・・・
あのエンディングが好きでした。
実際はわからないけど、郁紀達は愛さえあれば姿の違いなんて、関係なく愛し合えると思っています。
沙耶可愛いよ。沙耶♪

>「火の鳥 復活編」へのオマージュ
火の鳥は小学生の頃に図書室で読み漁っていましたが・・・
この話は全然知りませんでした。
ちょっと、改めて読み直しと、探して読まなくてはwww
そうしたら、より一層”沙耶の唄”が楽しめそうです♪

ここには書いてなかったのですが、沙耶の唄、というか【沙耶】の存在に”クトゥルフ神話”が深く関わっている、って聞きました。

病院で患者達がより一層狂ってしまったのって沙耶がクトゥルフ神話に出てくる存在で、それ故にSAN値直葬されたからですかね?w
[2011/04/19 18:18] URL | い〜ず [ 編集] | TOP ▲
コメントありがとうございます。
>い〜ずさん

はじめまして!

コメント返しが遅くなりましてすみません。

共感いただけて嬉しいです。

耕司生存ENDは、彼以外の人類にとっては最良の結末だったり、沙耶たちにとっては死という形でのバッドエンドが訪れるわけですが、確かに「最期まで二人一緒」というのはある意味では幸せな結末なのかもしれないなあとも思いますね…。

「愛さえあれば姿の違いなんて…」というテーマは、今でもこの作品のことを思い出すたびに深く考え込んでしまうことです。
「沙耶の唄」をやって痛感したのは、とかく人間というものは五感、特に視覚に大きく頼った価値観(美醜など)に左右される生き物なんだなあ…ということでした。そういうことを痛烈に突いてくる作品は貴重だと思います。
…なんて書くと夢も希望もない感想ばかりの人間のようですが、愛が他のものを乗り越える、というのもロマンがあって好きですね。

「火の鳥」は私も小中学生のころ学校の図書室においてあって飛ばし読みした記憶がありますが、大人になってから読むとまたいろいろ深く考えさせられました。機会があれば是非。

沙耶がクトゥルフ神話をネタにしているという話は私も存じています。クトゥルフ神話の小説などは読んだことがないのですが…ちょっと興味がありますね。
[2011/05/01 15:08] URL | 畑中 [ 編集] | TOP ▲
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